佐々木です。前回に続きまして、光州ビエンナーレの報告です。
現在の光州市は、1980年の歴史的民主化運動を記念する大規模な公共施設を街の中心地に建設しており、これにあわせて様々な都市空間の再整備計画を進めています。その一環として嘗ての光州城壁跡地に10のフォリーを点在させる計画がビエンナーレによって企画されました。世界からドミニク・ペローやピーター・アイゼンマン、ユアン・ヘレロスといったメンバーが名を連ねるなかで塚本先生も招待され、アトリエ・ワン+塚本研究室で小さなフォリーをデザインすることになりました。ビエンナーレの企画チームから送られてきた基礎資料には、各敷地の周辺環境の分析と一緒にすでにお題が与えられていて、既存のアノニマスデザインのパーゴラを展望台に変える、というのが我々のミッションになっていました。それに素直に反応することからプロジェクトは始まり、初期案では既存のパーゴラになにかしらの増築をして展望台をつくる案を考えていたのですが、すぐ背後に高い建物があることや、せいぜい3階建て程度の眺望にしかならないこと、手摺や階段といった細々とした建築的エレメントがでてくることにどうも違和感を感じていたので、発想を転換して身体から目だけを分離して空中に持ち上げてはどうかと考えるようになりました。そこで高さ25mの潜望鏡を導入し、既存のパーゴラに突如、巨大な柱と潜望鏡が突き刺さったようなフォリーをデザインしました。
結果的に、タワー、ペリスコープ、休憩用ベンチがひとつに統合されたフォリーが出来上がりました。接眼部分は潜水艦の潜望鏡のように約140°の範囲で回転させることができます。一見何の目的のために建てられたものかよくわからない不思議な構築物ですが、目を持ち上げるという目的そのものには、清々しく実直に応答したものになりました。(光州の人々の空間実践がそうであるように→展示編参照)
実際の視野をここでご報告できないのが残念ですが、遠くの山並みや手前の商業ビルの看板が突如視野に飛び込んできたりして、なかなか楽しい風景が広がります。通りすがりの人々も、最初は疑いの目で潜望鏡のまわりをうろうろし、恐る恐る覗き、じばらく夢中、という感じで光州の人達にも気に入ってもらえたのではないかと思います。接眼部分の高さは背の低い女性や子供も覗けるようにと1400mmに設定してあるのですが、この高さがなかなかのミソで、背の高い方が覗くとなんとも無防備な中腰になり、端から見ると少しおかしみのある姿勢になってしまうところが個人的には気に入っていますw。既存のパーゴラは老朽化によって残すことは出来ませんでしたが、そこに絡まっていたツタは残してもらったので今後再び設置してもらう予定です。ツタが生い茂った天井から柱と潜望鏡が出てくる状態になると、もっと魅力的な場所になるのではないかと期待しているところです。
実際の視野をここでご報告できないのが残念ですが、遠くの山並みや手前の商業ビルの看板が突如視野に飛び込んできたりして、なかなか楽しい風景が広がります。通りすがりの人々も、最初は疑いの目で潜望鏡のまわりをうろうろし、恐る恐る覗き、じばらく夢中、という感じで光州の人達にも気に入ってもらえたのではないかと思います。接眼部分の高さは背の低い女性や子供も覗けるようにと1400mmに設定してあるのですが、この高さがなかなかのミソで、背の高い方が覗くとなんとも無防備な中腰になり、端から見ると少しおかしみのある姿勢になってしまうところが個人的には気に入っていますw。既存のパーゴラは老朽化によって残すことは出来ませんでしたが、そこに絡まっていたツタは残してもらったので今後再び設置してもらう予定です。ツタが生い茂った天井から柱と潜望鏡が出てくる状態になると、もっと魅力的な場所になるのではないかと期待しているところです。
潜望鏡の制作にあたっては、天体望遠鏡メーカーである昭和機械製作所のエンジニアの方に全面的な協力を頂きました。限られた予算と設計期間のなかで、目を上空に持ち上げるためだけに、素晴らしい機構を考えていただきました。現場では職業軍人をされていた屈強な親方と韓国を代表する建築家キム・スグンのもとで修行をされたローカルアーキテクトの姜さん達に見守られ、いくつかの困難を乗り越えながらなんとか完成させることができました。他にも現地では多くの皆さんにご協力いただきました。有り難うございました。
最後に他のフォリーの様子もどうぞ。以上、光州デザインビエンナーレの報告でした。
順にJuan Herreros / Dominique Perrault / Florian Berigelの作品。