東工大建築学専攻塚本研の活動をレポートしていきます。

2011年10月6日木曜日

光州デザインビエンナーレ2011フォリー編 / Periscopic Pergola

佐々木です。前回に続きまして、光州ビエンナーレの報告です。
現在の光州市は、1980年の歴史的民主化運動を記念する大規模な公共施設を街の中心地に建設しており、これにあわせて様々な都市空間の再整備計画を進めています。その一環として嘗ての光州城壁跡地に10のフォリーを点在させる計画がビエンナーレによって企画されました。世界からドミニク・ペローやピーター・アイゼンマン、ユアン・ヘレロスといったメンバーが名を連ねるなかで塚本先生も招待され、アトリエ・ワン+塚本研究室で小さなフォリーをデザインすることになりました。
ビエンナーレの企画チームから送られてきた基礎資料には、各敷地の周辺環境の分析と一緒にすでにお題が与えられていて、既存のアノニマスデザインのパーゴラを展望台に変える、というのが我々のミッションになっていました。それに素直に反応することからプロジェクトは始まり、初期案では既存のパーゴラになにかしらの増築をして展望台をつくる案を考えていたのですが、すぐ背後に高い建物があることや、せいぜい3階建て程度の眺望にしかならないこと、手摺や階段といった細々とした建築的エレメントがでてくることにどうも違和感を感じていたので、発想を転換して身体から目だけを分離して空中に持ち上げてはどうかと考えるようになりました。そこで高さ25mの潜望鏡を導入し、既存のパーゴラに突如、巨大な柱と潜望鏡が突き刺さったようなフォリーをデザインしました。






結果的に、タワー、ペリスコープ、休憩用ベンチがひとつに統合されたフォリーが出来上がりました。接眼部分は潜水艦の潜望鏡のように約140°の範囲で回転させることができます。一見何の目的のために建てられたものかよくわからない不思議な構築物ですが、目を持ち上げるという目的そのものには、清々しく実直に応答したものになりました。(光州の人々の空間実践がそうであるように→展示編参照)
実際の視野をここでご報告できないのが残念ですが、遠くの山並みや手前の商業ビルの看板が突如視野に飛び込んできたりして、なかなか楽しい風景が広がります。通りすがりの人々も、最初は疑いの目で潜望鏡のまわりをうろうろし、恐る恐る覗き、じばらく夢中、という感じで光州の人達にも気に入ってもらえたのではないかと思います。接眼部分の高さは背の低い女性や子供も覗けるようにと1400mmに設定してあるのですが、この高さがなかなかのミソで、背の高い方が覗くとなんとも無防備な中腰になり、端から見ると少しおかしみのある姿勢になってしまうところが個人的には気に入っていますw。既存のパーゴラは老朽化によって残すことは出来ませんでしたが、そこに絡まっていたツタは残してもらったので今後再び設置してもらう予定です。ツタが生い茂った天井から柱と潜望鏡が出てくる状態になると、もっと魅力的な場所になるのではないかと期待しているところです。








潜望鏡の制作にあたっては、天体望遠鏡メーカーである昭和機械製作所のエンジニアの方に全面的な協力を頂きました。限られた予算と設計期間のなかで、目を上空に持ち上げるためだけに、素晴らしい機構を考えていただきました。現場では職業軍人をされていた屈強な親方と韓国を代表する建築家キム・スグンのもとで修行をされたローカルアーキテクトの姜さん達に見守られ、いくつかの困難を乗り越えながらなんとか完成させることができました。他にも現地では多くの皆さんにご協力いただきました。有り難うございました。
最後に他のフォリーの様子もどうぞ。以上、光州デザインビエンナーレの報告でした。


順にJuan Herreros / Dominique Perrault / Florian Berigelの作品。

2011年10月4日火曜日

光州デザインビエンナーレ2011展示編 / Architectural Behaviorology

こんにちは。博士課程の佐々木です。
韓国で開催中のGwangju Design Biennale 2011に参加してきました。何かとソウルへの一極集中が進む韓国ですが、南西部の中心都市である光州市にて、44の国から200組に及ぶ作家や企業が集まり盛大な芸術祭が開催されています。http://gb.or.kr/?mid=main_eng
今回のテーマは「design is design is not design」。いわゆるデザイナーが関わる建築やインダストリアルデザインといった分野だけに留まらない、拡張された概念としての今日のデザインに焦点があてられています。特にUnnamedセクションという展示では、例えば義肢製作の技術、サッカー中継のためのカメラ切替技術、競技によって全く異なるアスリートの体形などなど、特定の目的を達成するために洗練に洗練を重ねたものたちが所狭しと並べられています。我々デザイナー自身の先入観や固定観念を解きほぐし、デザインという言葉が担う領域や目的そのものを問い直す機会を与えてくれる、実に面白い展示になっていたように思います。


我々アトリエ・ワン+塚本研究室は、これまでやってきた都市リサーチの方法論を展示してほしいということで招待されました。アトリエ・ワン+塚本研が建築家チームとして作品を作り続ける一方で、メイド・イン・トーキョーやペット・アーキテクチャーガイドブックなど、アノニマスな建物の観察を通じて都市空間の特質を支える背後の論理への関心を持ち続けている事に興味を持っていただいたそうです。まず、先輩達のリサーチから自分達が直接関わったものまで、これまで書籍として出版されているリサーチをビデオ作品に再編集することにしました。加えて、これまで東京や世界各地で取り組んできたリサーチの方法を、Architectural Behaviorology (建築的振る舞い学)と名付け、同様のコンセプトのもとで光州の都市空間をリサーチし、同じくビデオ作品にまとめて展示することにしました。結果的に合計10本、トータル1時間を越える超大作展示作品が出来上がりました。
現地リサーチには研究室から塚本先生、後藤、赤松、梯、野澤、Hannaに僕を加えた7人が参加し、ひたすら光州の街を歩き回るフィールドサーベイを実施しました。韓国の延世大学で建築を学ぶ学生達にも参加してもらい、総勢16人の大所帯で、厳しくも楽しい(?!)充実したリサーチをすることが出来ました。延世大学のみなさんには感謝です。


これまでのリサーチは次の5つ。
Made in Tokyo (2001)
Pet Architecture Guidebook (2001)
Kanazawa Machiya Metabolism (2007)
WindowScape (2010)
TOKYO METABOLIZING (2010)
同じ方法を光州で実践した結果、新たに出来上がった5つリサーチをここに紹介します。


-GWANGJU HOUSE GENEALOGY
戦争難民や高度経済成長による都市人口の急増を背景に、いつの時代も慢性的な住宅不足に悩まされてきた韓国では、政府の住宅政策によって、各々の時代に各々のやり方で住宅の大量供給が行われてきた。その結果、戸建住宅による住宅地には、時代の条件が投影された世代の異なる住宅の形式が、混在している。こうした住宅の世代間を比較することを通して、光州の都市空間の変容過程が浮かび上がる。

-GWANGJU ENVIRONMENTAL UNIT
光州では、建物のような定まった輪郭では捉えられないが、その使い方によって捉えられる有機的な環境の「まとまり」を観察することができる。これらは、建築・土木・庭園のどの範疇にも収まらない複合性を持っているので、隣接する環境のまとまりという意味で「環境ユニット」と呼ぶことができる。都市環境におけるこれら環境ユニットは、すなわち都市の生態系であり、光州人の旺盛な空間実践力を示すものである。

-PET ARCHITECTURE IN GWANGJU
東京の都市空間には、都市システムの隙間に生まれた副産物のような小さな敷地にも、犬小屋以上建物以下の構築物が佇んでいる。こうした構築物はその小ささと人間や周辺環境との距離感から、都市空間にとってのペットのような存在と言える。そこには人々の空間実践への執念が記録されている。ここ光州の都市空間からは、どんなペット建築が見つけられるだろうか。

-URBAN FARMING SPIRITS
光州の都市空間には、どんなに小さくどんなに困難な場所にも、家庭菜園を見つけることができる。一定のルールが共有されているわけでもないにもかかわらず、溢れんばかりに見出されるこの現象は、光州の人々に内在する自主自律の精神の物質化と呼ばざるをえない。

-MARU-OLOGY
伝統的韓屋の半外部空間であるデチョンマルは、光や風、熱といった自然要素の振る舞いと人々の振る舞いを有機的に結びつける優れた形式である。古来より韓国の人々に内在する半外部空間での暮らしを楽しむ精神は、都市化が進み住宅が小さくなるにつれて、ピョンサンやジョンジャの形をして、家の外にはみ出してきたのだろうか。

今回のリサーチプロジェクトにおいて目標としたのは、光州の(というより韓国の)都市空間に溢れる人々の空間実践力をいかに捉えるかということでした。光州の街を歩くと、良い意味で「勝手に」自分達の都合の良いように空間を改造し使いこなしている例をたくさん見つけることができます。(Urban Faming SpiritやMaru-ologyの事例等はその代表といえます。)最良の方法を考える前に、目の前にある課題を手の届く材料の組合せで片付けてしまうようなやり方は、完結した美や自立性を目指す近代主義建築の文脈では否定されるべきことだったかもしれません。しかしながら、自ら判断し自ら実践するという意味での自律的な光州の人々の振る舞いは、これからの建築が寄り添うべき重要な空間実践の力なのではないかと思います。

建築に与えられる文化的社会的な意味を見失わないようにしたい、という動機のもと塚本研究室では現代建築の研究や設計に取り組みながらも、継続的に都市空間のリサーチを行ってきたわけですが、言い換えると、常に建築の設計の前提を形づくる背景について理解しない限り、現代建築がその場所を支える論理から離れ、場所に根付かないものになってしまうことへの危惧でもあります。我々が目指すのはそうしたヴァナキュラーな建物を支える論理に立脚しながら、それを現代に相応しい新しい論理に組み換えるところに建築の創造性を位置づけることです。そうした面が今回の展示を通して少しでも韓国の人々に伝わればと願うところです。僕たち学生にとっても、プロジェクトを通して過去のリサーチをまとめ、光州の都市空間で実践し、メンバーで議論したことは、自分達の目指すところを改めて確認し発表する良い機会になったように思います。

最後に展示空間の様子を。単管を組んで4つの巨大スクリーンを設置し、2枚を東京、もう2枚に新たに作った光州でのリサーチを投影するという構成を提案しました。中央にはピョンサン(MARU-OLOGY参照)を設置してあります。会場に座れる場所がないこともあって、多くの人が休憩してビデオを眺めてくれたようです。
以上、光州ビエンナーレの展示作品の報告でした。
次回はフォリープロジェクトという、同じく光州ビエンナーレの別企画について報告したいと思います。

2011年9月28日水曜日

家の外の都市の中の家 ゲストトーク 柳澤田実×塚本由晴

塚本研修士1年の高橋です。
現在、西新宿の東京オペラシティアートギャラリーにて、展覧会「家の外の都市(まち)の中の家」が開催中です。
今回は、その関連企画として9月4日に行われました、塚本先生と柳澤田実さんによるゲストトークについてレポートします。


ゲストトークは、南山大学人文学部キリスト教学科の准教授を勤めておられる柳澤さんのプレゼンの後、人類学者であるIngoldさんの主張を出発点に、アトリエワンのものの見方について質問と応答を行いながら、議論が進められていきました。



プレゼンテーションの内容は、

まず、福島原発からの放射能がどのように拡散しているかというスライドを紹介しながら、これまでは、人間が"生きもの" として生きていること、自分の生を構成している"流れ"に無自覚だったこと。
しかし3.11の震災以降、放射能汚染を意識することで、「風と水の流れ」という、生において大きな意味を持った事象に対して意識的にならざるを得なくなっていること。

柳澤さんは哲学分野におけるフッサールの「生活世界」、ハイデガーの「世界内存在」といった用語を引用し、「世界に開かれ住まう私たちのあり方を回復すること」が、3.11以後に突然、誰もが具体的に意識させられるようになったという認識を示しました。


次に、Tim Ingold氏の著書「Being Alive」について取り上げ、彼の思想が、世界を「生=流れ=動き=線」として捉えており、「animic ontology」をキーワードに、近代に生まれた行為主体という概念を無効化するものであること。

animic ontologyとは、直訳すれば、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂が存在するという思想です。
動いているものは生きているものであり、全てのものは空気の流動によって動かされているという考え方は、非常にシンプルでありながら生活の中で実感出来るレベルで世界をモデル化しているという点で、力強いものでした。


そして、アトリエワンのものの見方にもアニミズムが見いだされると同時に、特に実作にはanimic ontologyを感じるということ。 

過去には、ゴッホの素描やレンブラントの絵画など、生の流れを表現しようと試みた芸術家は多くいますが、生の流れを再現し、伝達するのは難しいものです。
柳澤さんは「意識」を手放し、ただ感受出来る喜びを感じにくくなっている現代において、アトリエワンの作品は見えなくなってしまっている生の流れを「再認識」させてくれる場所をつくっているのではないかという視点を提唱されました。




その後の柳澤さんから塚本先生への質疑では、

建築の場を構成する「動き=流れ」をどう読むのかという柳澤さんの質問について、

アトリエワンの著書「空間の響き/響きの空間」で語られているカブトムシ採集の話、家に漂うほこりの話などを例に挙げて、生命は境界を超えた流れの中にいること、彼らに乗り移り、彼らのふるまいを想像することで場を読んでいくこと。
アニミズムは素朴な概念であり、言語化しても真剣に受け取られにくいが、それを形として定着し、説得力を持たせることができるのは建築の特権であるということ。


建築は生の流れを感受可能にするためのフレームであるか?アトリエワンの「空間」は、間が空っぽなイメージではなく、充填しているものたちの交通整理をしているように見える。という問いについては、 

サイバネティックス理論は、情報を場所、人、モノから引き剥がして、流通出来るようにした。と同時に情報を引き剥がされてしまった場所、人、モノが、抜け殻のように漂わせるために空間という概念を導入した。でももう一度、情報を場所、人、モノに血実化していかないと、物事がなるということの自律性が失われたままになってしまうこと。
次に、 本来建築は対象化されず、環境化することが他の芸術との決定的差異であること。
最後に、近作の「みやしたこうえん」を例に、囲い込みによって関係の絡まり合いをつくる建築に対して、多様な人やモノが干渉せずに通り過ぎていく建築の可能性を挙げ、 アトリエワンはふるまいの規範を内蔵した「いきいきとした場所」を目指して活動しているということ。


従来の意味でのアニミズムと考えられる藤森照信と石山修武の建築と比較して、アトリエワンの使用する素材の役割についてどのように考えるかという質問では、

特別な素材ではなく、まちに当たり前にある限定された素材の中で建築をつくることで、社会化されるようにしていること。
また、最近ではどんな熱がかかったか、力がかかったか、というように素材がどのようなエネルギー履歴を持って出来ているかについて関心を持っていること。その意味では旧素材に関心があること。


職住近接を例に、そこに暮らす人=ユーザーをどのように考えるかという質問について、

なぜその人が、今、ここに建物を建てたいのか、ということをよく考える。そこまで至るには相当の時間がかかっているはず。そういう設計からさかのぼっていく時間と、これからそこで暮らしていく時間の、両方が、よりよく納まる一つの枠組みを考えるのがデザインであること。
同時に、人類が今どういうところに来ているのかという問題に、その人たちの暮らしを位置づけ、問い直すことの必要性が話題に登りました。

今回のゲストトークでは、animic ontologyをテーマに、周辺環境、素材、ユーザー、時間といった観点から建築のもつ全体性について多くの話題が及び、建築が関わる領域の大きさを再認識することが出来ました。
フォルマリズムに代表される、生の流れとは切り離されたところで建築家の作品のカタチや形式が決定される理論では、個別性ばかりが重視され「見たことのない空間」が多く実現される一方で、作品が共感可能ではなくなってしまい、人々が建築から離れてしまったように思います。
「建築は意識を離れた生活のためにこそあってほしい」という柳澤さんの発言にもあったように、人々の精神活動を実生活と分離することなく、人の生活や自然、ものの動きと思想の連続について研究しておられる柳澤さんの主張は、3.11の震災以後の建築を考える上で、生の流れと建築作品のつながりを、もう一度見直すためのひとつの指針となるように感じました。





「家の外の都市の中の家」展では、10月2日まで塚本研究室で制作した45%のハウス&アトリエワンの模型が展示されています。是非ご覧ください。
以下、詳細です。
会期:7月16日(土)~10月2日(日)
休館:月曜日(祝日の場合は翌火曜日)
時間:11:00~19:00 *金・土は20時まで開館。
住所:新宿区西新宿3-20-2
交通:京王新線初台駅東口直結徒歩5分。

2011年9月10日土曜日

アーキエイドサマーキャンプ展覧会

塚本研究室修士1年の河西です。
9月3日から1週間、ヨコハマトリエンナーレ「新・港村ー小さな未来都市ー」にてアーキエイドサマーキャンプの成果物を展示しています。
サマーキャンプは全国から集まる建築系研究室が牡鹿半島にある30の浜で住民にヒアリングを行い、住民とともに住みたい浜の将来像を提案するワークショップです。研究室から塚本先生、會田、袁、河西、側嶋、高橋が参加して、鮫浦湾に面する鮫浦(サメノウラ)、谷川浜(ヤガワハマ)、大谷川浜(オオヤガワハマ)、祝浜(イワイノハマ)の調査を行い、各浜の復興計画案を提案しました。また谷川浜に提案した漁業集約案は石巻市に採択され、実施に向けて計画が進行しています。自分たちで描いた計画案が復興の土台として使われていることを大変嬉しく思います。
ここでは9月3日のサマーキャンプ報告会、4日に行なわれた釜石市復興プロジェクトチーム、岩間正行さんと塚本先生の対談についてレポートします。


1.展示について

fig.塚本研究室の展示

上から浜の現状写真、リサーチマップ、復興計画案マップ、アイソメパースと手書きパースで構成しています。
ここでは谷川浜の現状と提案について紹介します。

fig.谷川浜の現状写真

津波で防波堤、船着場、漁業作業場を失い、地震で漁港が地盤沈下して船が着けられず、漁業を再開できていません。

fig.谷川浜のリサーチマップ

津波は地図の赤いラインまで到達。56世帯のうち55世帯が被災して、住民は大原町の仮設住宅や石巻のアパート等で生活しています。

fig.谷川浜のi復興計画案

漁港再整備、高台移転、漁港集約を提案。漁業集約案は前網浜・鮫浦・泊浜・谷川浜4集落の漁業機能を集約させます。

fig.サマーキャンプの活動写真

展示では浜の踏査、住民ヒアリング、図面制作の様子も見ることができます。

fig.牡鹿半島全体の模型

展示ブース内に牡鹿半島全体の模型が展示されています。私たちが担当した浜は東エリアに位置しています。模型を見ると牡鹿半島の複雑な地形がよくわかります。

fig.報告会の様子

展示初日は東洋大学藤村研究室と一緒に報告会を行いました。
サマーキャンプ生活はヒアリングで震災以前の浜での生活、津波が到達した時の記憶、復興に対する強い想いを住民の皆さんから受け取り、復興計画案を図面に手書きで描く作業が主でした。校庭に仮設住宅が建ち並ぶ旧大原小学校に宿泊させてもらい、被災された皆さんと交流できたことは復興を考える立場として良い経験になったと思います。


2.釜石市復興プロジェクトチーム参与岩間正行さんと塚本先生のディスカッション

fig.岩間正行さんと塚本先生の対談の様子

展示2日目は「被災地の漢シリーズ」という被災地で復興に向けて奮闘する漢(オトコ)と建築家が対談するイベント第一弾が開催され、釜石市復興プロジェクトチーム参与、岩間正行さんをお招きして釜石市の話をお聞きしました。岩間さんは釜石市の職員であり、定年退職の20日前に震災に遭遇。震災後いち早く復興チームを立ち上げるとともに先を見据えた支援人材の組織化などに尽力。伊東豊雄氏など建築家の力を借りながら、市民によるワークショップを積み重ね、復興計画を立ち上げています。
岩間さんのお話で印象に残ったことは、「街の再建には時間が必要で、時間をコントロールできるのが建築家である」と説明されたことで、街の歴史や今の姿、住民の希望などを吸い上げて、時間軸の中に位置づけていくのが建築家の仕事であると考え、復興の指揮官に建築家を採用したアイデアに感銘しました。塚本先生は“ふるさと“という言葉を用いて「長い時間をかけてつくられてきた街を未来へ繋げていくと考えれば、復興は大きな時間軸の中で“ふるさと“をつくっていくことである。昔この街に住んでいた人、将来ここに生まれてくる人のためにつくっていくことが大事である。」と復興の位置づけについてコメントしていました。

fig.ディスカッション会場の様子

2011年8月29日月曜日

塚本研 活動レポート開始!!



こんにちは。
塚本研の博士課程の山道です。これから研究室の活動をここでレポートしていきます。
まずは早速、8月27日に行った、「越後妻有の林間学校」でのアトリエ•ワン+東工大塚本由晴研究室によるワークショップのレポートです。

一般の参加者や、被災地から避難してきている子供やその家族を含む総勢40名あまりの人々や長年建築やアートの施工に関わっている日沼知之さんの職人チームと一緒に、地元の竹を使った縁側を作ってきました。そのレポートを書いていきます。



到着早々、まずは事前に準備していたプロトタイプを囲んで、ディテールや施工方法を議論します。

方針が決まったところで、4mもの竹を一気に製材していきます。

竹同士を固定するシュロ紐をカットして行きます。

夜の10時を回ってようやく1個目が完成間近。シュロ紐の結び方を研究中。ここまでで一日目は終了。

次の日、ワークショップ当日は、子供達が来る前に朝5時から縁側の設置場所を探して、町歩き。

そしていよいよワークショップ開始です。まずは、子供達に載ってもらい載荷試験。いきなり大はしゃぎ。

難しい作業もなんのその!どんどんくみ上げていきます。

こどもたちの力を借りて全部で8台を完成させました。

完成した縁側を早速、みんなで協力して運んでいきます。

日陰は涼しい風が抜けていきます。

地元の人も一緒に涼んでいます。




最後は全部繋げてみんなでカレーを食べました。

夜は川西町コテージB(1999 アトリエワン+東工大塚本研究室+三村建築環境設計事務所)で日沼さんのチームと打ち上げ。
今回のワークショップで、僕が一番興味深かったのは、子供たちは、体育館があれば友達とずっと遊んでいられるから避難所生活が楽しくて仕方がないと言っていた事。ワークショップが終わった直後も、疲れ果てた我々を横目に、子供達はいきなり野球をはじめていました。
ここにきて初めて、震災以降、集まって生活することの突き抜けた明るい側面を実感した気がします。
子供達にエネルギーをもらって、東京に戻りました。